アフリカからアメリカへアフリカ西海岸円で囲まれたあたりが、主に奴隷売買の中心地で、最初はセネガル、ガンビア、シェラレオネの海岸が、後に象牙海岸や黄金海岸が犠牲になる。最大の犠牲は、現在のナイジェリアのある地方。奴隷売買から免れることができたのは、未踏のジャングルや砂漠に住む部族だけだと言います。
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15世紀、ヨーロッパは大航海時代となり、1415年にジブラルタル海峡を隔てた、 アフリカ大陸北部にポルトガルが進出し、20年後には西岸に達します。まだこの頃は交易程度だと 思いますが、さらにどんどん南下していき、1482年には黄金海岸のエルミナに城砦を築くまでに なります。 いつ、どのようにして人身売買になったのかは不明ですが、元々アフリカでも部族間の戦争で 捕虜になったりして、奴隷になるような事はあり、目新しいことでは無いのですが、異人種である 白人が黒人を奴隷にし、同じ人間として見ていなかったと言う事が最大の不幸でした。 航海の使役よりも、航海の経費などを作る為の目的で、奴隷として売ったのが最初のようです。 そして後に、労働力としてアメリカ大陸に強制的に連れて行かれます。 この時がブルース、ゴスペル、ジャズ、サンバ、レゲエ、スカ、カリプソ、マンボ、等の 全てのアフリカン−アメリカンミュージックの最も古いルーツになると思います。 コロンブスがバハマ諸島にたどり着いたのが1492年で、イギリス人がヴァージニアを植民地にしたのが1584年で、100年近い間がありますが、そのあたりは、ここでは触れません。 北米の場合、イギリス植民地のヴァージニアに、オランダ商人が20名の黒人奴隷を連れてきたのが最初のようで、1619年の事です。 |
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